Aug19th

ハンムラビ法典とは

ハンムラビ法典は、紀元前1792年から1750年にバビロニアを統治したハンムラビ(ハムラビ)王が発布した法典。アッカド語が使用され、楔形文字で記されている。

概要

ハンムラビ法典は完全なかたちで残る世界で2番目に古い法典である(現存する世界最古の法典はウル・ナンム法典およびエシュヌンナ法典、リピト・イシュタル法典)。

歴史

ハンムラビ法典はあとになって石柱に書き写され、バビロンのマルドゥク神殿に置かれた。以後の楔形文字の基本となった。
1901年、高さ2.25mの閃緑岩石棒に刻まれたものがイランのスサで発見された。紀元前12世紀にバビロンから奪われたものである。現在はパリのルーヴル美術館が所蔵し、レプリカを岡山市北区の岡山市立オリエント美術館、東京池袋の古代オリエント博物館、三鷹市の中近東文化センター、東広島市の広島大学文学部(広島大学総合博物館文学研究科サテライト館)等でみることができる。

構成

「前書き・本文・後書き」の3部構成となっている。本文は慣習法を成文化した282条からなり、13条及び66-99条が失われている。前書きにはハンムラビの業績が述べられており、後書きにはハンムラビの願いが記されている。

アッシリア学研究者ジャン・ボテロ(英語版)の見解では、ハンムラビ法典はバビロニア王ハンムラビの所信表明の意味合いが強いと主張している。根拠は、法典内容と、実際にバビロニアから発掘された粘土板による記録を精査すると、かならずしも法典内容と実際の判決が一致していないことによる。このことから、ハンムラビ法典の内容そのものはハンムラビ王が即位する前後に王としてどのような法改正を行うかを表明したもので、「実際の法改正・司法制度の制定、運用にあたっては法典内容よりも訂正が加えられた」とする意見もある。

「目には目で、歯には歯で(タリオの法)」

「目には目で、歯には歯で」との記述は、ハンムラビ法典196・197条にあるとされる(旧約聖書、新約聖書の各福音書にも同様の記述がある)。しばしば「目には目を、歯には歯を」と訳されるが、195条に子がその父を打ったときは、その手を切られる、205条に奴隷が自由民の頬をなぐれば耳を切り取られるといった条項もあり、「目には目を」が成立するのはあくまで対等な身分同士の者だけであった。

ハンムラビ法典の趣旨は犯罪に対して厳罰を加えることを主目的にしてはいない。財産の保障なども含まれており、奴隷階級であっても一定の権利を認め、条件によっては奴隷解放を認める条文が存在し、女性の権利(女性の側から離婚する権利や夫と死別した寡婦を擁護する条文)が含まれている。後世のセム系民族の慣習では女性の権利はかなり制限されるのでかなり異例だが、これは女性の地位が高かったシュメール文明の影響との意見がある。